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東京高等裁判所 昭和60年(う)357号 判決

被告人 山本尚幸

昭三六・六・一九生 飲食店従業員

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中四〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人神山美智子提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  事実誤認の主張について

所論は、要するに原判示第五の詐欺の事実については、被告人において代金支払いの意思も能力もあつたのであるから、単に他人を装つて商品の交付を受けただけでは詐欺罪は成立しないというべきであるのに、欺罔行為として、被告人が加瀬陽一本人であるかのように装つたことを認定したのみで詐欺罪の成立を認めた原判決には事実誤認があるというのである。

そこで原審記録を調査して検討するに、原判決は、「被告人は、窃取した加瀬陽一名義の国民健康保険被保険者証を利用して購入名下に物品を騙取しようと企て、昭和五九年九月二七日、東京都武蔵野市吉祥寺南町一丁目七番一号株式会社丸井吉祥寺店八階時計売場において、同店店員清都和夫に対し、被告人が右加瀬陽一本人であるように装つて右健康保険被保険者証を呈示して同店発行のクレジツトカードの交付及び腕時計一個の購入方を申し込み、右清都和夫及び同人の指示を受けた同店店員古川雅章をしてその旨誤信させ、よつて即時同所において、同人らから右クレジツトカード一枚及び女物腕時計一個の交付を受けてこれを騙取したほか、原判決別紙犯罪一覧表記載のとおり前同日から同年一〇月四日までの間、前後三回にわたり、同都中野区中野三丁目三四番二七号株式会社丸井中野本店ほか二か所において、同店店員天野早苗ほか二名に対し、被告人が右加瀬であつてクレジツトカードの正当な使用権限を有するもののように装つて、加瀬名義の右クレジツトカードを呈示して、ビデオテープ等の購入方を申し込み、同人らをしてその旨誤信させ、よつていずれもそのころ同所において、同人らからビデオテープ一個ほか四点の交付を受けてこれを騙取したものである。」との事実を認定し、被告人の右各所為はいずれも刑法二四六条一項に該当するとして、詐欺罪の成立を認めている。

これによると、原判決は、欺罔行為の内容として、クレジツトカード及び女物腕時計の騙取については「被告人が右加瀬陽一本人であるように装つ」たことを、また原判決別紙犯罪一覧表記載の物品の騙取については「被告人が右加瀬であつてクレジツトカードの正当な使用権限を有するもののように装つ」たことを認定しているが、所論の指摘するとおり「代金を支払う意思も能力もないのにこれあるように装つ」た事実は認定判示していないのである。

ところで、詐欺罪は、法律行為の要素あるいは財産的処分行為をなすための判断の基礎となる事実について虚偽の表示をし、これによつて相手方を錯誤に陥らせ、相手方にその錯誤に基づく財産的処分行為をさせることによつて成立し、必ずしも被害者の全体としての財産的価値が滅少することは必要ではないと解すべきであるところ、(証拠略)によると、本件クレジツトカードは丸井クレジツトカード(或いは丸井カード)と称せられているもので、株式会社丸井が各店舗において商品を割賦販売する場合、あらかじめ顧客にクレジツトカードを交付しておき、右カードを呈示した者に対しては割賦販売による代金決済の便宜を与えることとしているものであること、そのため同社は、クレジツトカードを利用しようとする者に対して、あらかじめ丸井カード申入書に氏名、年齢、住所等所定事項の記載をさせ、運転免許証等身分を証明する物の呈示を求めて申込者が本人であり、かつ、身元が確実であることを確認したうえ、代金の支払いが確実に受けられると判断した者に対してクレジツトカードを発行していること、一方、クレジツトカードの発付を受けた者が右カードを呈示して代金分割払いによる商品の購入を申込んだ場合、同社は、契約台帳に購入商品名、代金支払方法等を記載させるとともにカード番号の記入を求め、暗証番号の照合によりカード所持者と本人とが同一人であることを確認したうえで申込みに係る商品を売り渡すこととなつていること、その代金債務はカード名義人が負担し、後に銀行振込みにより或いは同店に来店して支払うことになつていること、以上の事実が認められる。してみると、株式会社丸井のクレジツトカードシステムを利用した代金後払いによる商品売買については、代金債務を負担するクレジツト契約上の当事者が誰であるかは、クレジツトカードを発付し、商品を売り渡すかどうかを判断するにあたつて重要な要素となるといわなければならない。そして、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は、当時株式会社丸井から電気製品等を割賦で購入し、これを質屋に入質して換金し、小遣いなどに充てていたため、購入金額がかさみ、これ以上右丸井からは自己名義で商品を割賦購入できない状態にあつたこと、従つて、被告人が加瀬陽一と偽つていることが判明すれば、右丸井の店員が被告人にクレジツトカードを発付し、商品を月賦販売する筈もないことが認められることからしても、本件においては、被告人が加瀬陽一本人であると装つて、その旨誤信させたこと自体が欺罔行為となるといわなければならない。

それ故、原判決が、被告人の代金支払の意思及び能力の有無について認定判示することなく、前述のとおり被告人が加瀬陽一本人であると装つた点を欺罔行為の内容とし本件について詐欺罪の成立を認めたのは正当であつて、事実誤認の論旨は理由がない。

二  量刑不当の主張について

所論は、要するに被告人に対し懲役一〇月の実刑を科した原判決の量刑は重きに過ぎて不当であるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、本件の事案は、被告人が前後四回にわたり現金合計二万三〇〇〇円並びに翻訳機一台、国民健康保険被保険者証一通を窃取したほか右被保険者証を利用し他人の名を騙つて不正に入手したクレジツトカードにより百貨店から購入名下に総額一七万円相当の品物を騙取したというもので、その動機は、無計画な生活を送り小遣銭に窮した結果によるものであり、なかでも本件詐欺は極めて巧妙であり、犯情に酌むべきものはなく、これらの被害に対する弁償もされておらず、加えて、被告人は少年時代に中等少年院に入院したことがあるのにその教訓を生かすことなく本件に及んだもので、被告人の刑事責任は軽視できない。したがつて、被告人が反省していること、若年であることなど被告人のために考慮すべき事情を十分斟酌しても、被告人に対し刑の執行を猶予することは相当でなく、被告人を懲役一〇月に処した原判決の量刑が不当に重いとは認められない。論旨は理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中四〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 石丸俊彦 新矢悦二 高木貞一)

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